ALS患者を支援する活動として氷水をかぶって寄付を訴えるIce Bucket Challenge が話題です。
Shinya Yamanaka's ALS Ice Bucket Challenge - YouTube
で、いくら集まったのか?というと、ALS協会には8月21日時点で約200万円、END ALSに約230万、と、多く見積もって500万円程度のようです。アメリカでは億単位のお金が集まってるらしく、なんでそうならないのか考えてみました。
1. 実はそんなにたくさんの人が参加してない?
日本に入ってきた時には、すでに米国でマーク・ザッカーバーグさんやビル・ゲイツさんが参加したあとで、「社会的に影響力のある人が参加するもの」となってしまっていた気がします。限られた人だけが参加しているのかなあ、と。
2. 一人あたりの寄付の金額が少ない?
一応、「1人100ドル」という目安があるようですが、もうちょっと少ないのかもしれません。
3. アメリカの団体に直接寄付した?
考えにくいですが、日本の団体に寄付してない、あるいは、日本の団体であっても21日以降に寄付した人がたくさんいるので、捕捉できてない可能性もあります。
4. 水はかぶったけど寄付するの忘れてる?
ルールは「寄付をする」「水をかぶる」「両方」の3択ですので、水をかぶって回避した人がいるのかもしれないです。が、水をかぶるぐらい意識の高い人が寄付しないとは思えないですね。
5. 「何のための寄付なのか」が伝わってない。
ALSは、現在、原因がわからず、治療法もない病気です。なので、寄付したお金が、現在の患者の薬代や手術代になって命が救える。というものではありません。
じゃあ、寄付したお金は何に使われるのか。大きく2つです。
広報なんかもありますが、広い意味で2に含まれると思って下さい。生活を改善するために必要なものが必要と認められるだけで、ちょっと生きやすくなる。ルールを変えるだけでいいのに、ルールがなかなか変わらない。そういうことを訴えていく活動、という感じでしょうか。
実は、ルールを変えるだけなら、お金は必要ありません。でも、「集金力」があることを見せることにはすごく意味があります。ひとりひとりは少額でも、絶対的にたくさんの人々がその団体を支援していると分かれば、それだけで事態が好転する可能性というのは大いにあります。
氷水をかぶらなくても少額を寄付するだけで結構な意味があることが、今回のチャレンジではあまり伝わってない気がします。
「日本に寄付文化が根づいてない」は多分嘘だ。
アメリカが億単位集めてるのに、日本にはそれだけの寄付が集まってないことについて、「寄付文化が根づいてない」とか、「税制の問題が」とか言われます。税制の問題は、もちろんあります。が、文化がない、とは思いません。
日本 2,189億円
米国 22兆9,920億円
これはよく言われる数字です。でも、これ、調査が「税制調査会」です。調べたのは、確定申告で寄付金控除を使った金額の累計でしょう。寄付金控除は寄付先の団体が異様に厳しく制限されるなどしており、日本全体の寄付の金額を表しているとはとうてい思えません。特に東日本大震災以降は爆発的に増えているはずですが、実際の金額を突き止めるのはそうとう難しいのではないでしょうか。
なぜ、実際の寄付金額がわからないのか?それは、日本には「俺はこの団体に寄付をしたぞ!」と大きな声で言う文化がない、のだと思ってます。世界中で地震が起こった時や、事件や事故で孤児になったというニュースが出た時、悲しい病気の話が報道された時、びっくりするぐらいの寄付金が集まるのが日本です。しかも全部匿名で。なんというか、そういう美徳なんだと思います。
アドボカシーや顕名寄付への理解
病気を認めてもらい、法的枠組みなんかを変えてもらうように働きかけることを「アドボカシー活動」といいます。実際、どんな活動をするのかよくわからないので、あんまり理解がされていないです。どちらかというと、もっと直接的に病気や事件・事故で苦しんでてお金があれば解決できる、という状況のほうが寄付は集まるでしょう。
同様に、顕名で寄付しても別にいいと思います。「わざわざ言いふらすこと無い」と思うかもしれませんが、「あいつが寄付したんだったら、俺も」というひとがたった1人でもいれば、0よりはきっと大きいと思うのです。
アドボカシーや顕名寄付といったことが増えてくると、またちょっと状況が代わるのかもしれないな、と思いました。
蛇足かもしれないですが、某TV局がこの季節にやるあの番組は、いろいろ見直して欲しいですね。つい最近もマラソンランナーのギャラがX,XXX万円、みたいな報道がありましたが、日本の寄付文化にいい意味でも悪い意味でも与えてる影響は大きいと思います。